新宿(あらじく)地区の南東に位置する山地は、岸美作守(きしみまさかのかみ)義満が居城した鳥屋ヶ森城跡です。永禄8年(1565)娘の弥生姫と八ッ沼城主原甲斐守の子兼道との婚約成立をもって最上義光との五百川合戦につながり両城ともに落城しました。(天正9年、12年説もあり)慶長5年(1600)の出羽合戦では上杉勢に攻められ再び落城しました。曲輪、三重掘、たて掘、家臣の屋敷跡などが残っています。
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アクセスマップはこちら※登り口は東永寺と郷倉の間の細道です。舗装はされていますが狭いです。
2009.04.03:朝日町エコミュージアム協会