東永寺は、開創時には鳥屋が森城のあった館山の中腹にあった。元々檀家の持たない祈願寺だった。それに対して同じ館山の左側にあった福昌寺は檀徒寺だった。
本尊の延命地蔵菩薩様は乳地蔵とも呼ばれている。乳が出なくて困っている人はここで祈願した。乳が出たら、乳の形にしたものを布で作って奉納した。本尊は秘仏になっているから見られない。前に立っている地蔵様は、前仏といって本尊を守っている。左右には観音様。右側には五人だけの位牌壇がある。
東永寺の寺子屋の歴史はとても古く、裕福な子供だけでなく区別なしに使用人の子供なども学ぶことができたそうだ。だから100人をこえる大人数だったと言われている。ここにある「児翫」の石碑はその証拠のようなものだな。
(お話 : 熊谷與志雄さん 取材 : 平成17年11月)
2009.04.13:朝日町エコミュージアム協会