最上川全体でおよそ40ヵ所の簗があったが、朝日町にはそのうち7ヵ所あった。荒砥から左沢間の五百川峡谷全体では11ヵ所あった。こんなにある所は他になかった。どうしてかというと、激流(瀬)、岩盤、中州があるから。簗の仕組み上、段差のある瀬がないと仕掛けられない。それに、中州のない所に作るには上流から長くせき止めなければならないから大変だ。
6〜7月、鱒が簗の仕掛けてあるその瀬の段差を上るとき、水の勢いで、どっとひっくり返されて簾の上に落ちる。これが遡上する魚の取り方。下る魚、落ち鮎などは上からぞろぞろ入る。問題は、いろんな木や草などのゴミも簾にかかる。これを丁寧に落とさないと簗がだめになる。
簗には、必ず魚を食べさせる料亭のような場所があった。鱒の季節には鱒を、鮎の季節には鮎を、それからウナギなどもよくごちそうになった。
簗は、増水で流されれば大きな損害になるが、儲かるときは儲かる。落ち鮎の季節はあまりに掛かりすぎて、手伝い人は面倒くさくなって流してやったほど。
上郷ダム建設で簗を全廃するにあたっては、一簗につき240万円から3,300万円までの補償金が出た。八天簗は簾座が三つもあるから、漁獲数も多かった。
お話 : 熊坂正一氏(最上川第一漁業協同組合代表理事組合長)取材 : 平成18年
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2009.04.16:朝日町エコミュージアム協会