〜祖父の初仕事〜
私の祖父は、中学を卒業して初めて働いたところが明鏡橋の架け替え工事だったと話します。一番記憶に残っているのは橋脚の土台となる土を玄播山から運んだことと言います。当然ですが工事用のダンプなどは無いため、すべて手作業で運んで大変だったということを昔の思い出話として話してくれました。
〜父の水遊び〜
祖父が橋の工事に携わったとすれば、父はその下で遊んだ少年時代の思い出話をしてくれました。明鏡橋付近、最上川の左岸は栗木沢、右岸は大隅、それぞれの子供たちにとって絶好の遊び場でした。栗木沢が橋よりも少々上流、大隅が橋よりも少々下流に泳ぎ場があったといいます。泳ぎに疲れたり、体が冷え切ったときは、水の浅いところで温かくなった水に浸かり体をあぶったということです。最上川を泳いで横断できれば一人前と認められたり、対岸に向かって石を投げたり、栗木沢と大隅それぞれ川の両岸のお隣同士で同じような遊び(ときにはケンカも)をしていたようです。
〜私の少年時代〜
私の年代になると、もう川で泳ぐものはいませんでしたが、ちょうど二見屋さんの現在の主である遠藤憲一氏の長男が私の弟と同級生で仲がよかったので、私も小学生の頃はよく河岸に遊びに行きました。
雪解けによる増水が引いた春先ごろは、岸にいろいろなものが落ちていました。釣りに使う浮きや軟式ボール、ゴムボール、靴類からその他の生活雑貨、使えるものから役に立たないものなどあらゆるものがあって、それらを拾って帰るのがうれしかった思い出があります。
また、梅雨が明けて夏になると、父に連れられて明鏡橋の真下で釣りをしました。以前は近くの沼で浮き釣りしかしたことがなかったので、初めて最上川に行った時はリール竿と吸い込み針を使ういわゆる「ブッコミ釣り」にとてもわくわくした覚えがあります。明鏡橋の下には今でも昔の橋の支柱を立てたと思われる直径50cm、深さ30cmほどの丸い穴が数箇所あり、そこに釣った魚や、稚魚程度の小さな魚を捕まえて放しては楽しんでいました。河岸にはその他にも、明鏡橋の少し上流・中州の手前辺りにちょうどお風呂くらいの四角の穴があったり(昔の岩採り場の跡らしい)して、子供心ながらも何の跡か疑問に思っていました。釣りをしない日でも、中州に行ったり、上流下流両方の河岸をどこまで歩いていけるか散策してみたりと、特に目的がなくとも何気なく遊びに行っていたものです。
お話 : 佐久間 淳さん
あさひまち宝さがし2002(平成14年)
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2009.04.03:朝日町エコミュージアム協会