かつて栄えた朝日岳信仰の第一遥拝所。 宝暦5年(1755)に当時の大庄屋佐竹長右衛門が中心になり再建しました。貴重な江戸中期の代表的な三間堂ですが、言い伝えによると旧観音堂は八間堂であり、現在の場所の裏山南斜面に在ったとされます。朝日町指定有形文化財。五百川三十三観音第1番札所。朝日町大字常盤に634
また、観音堂のすぐ裏山には、戦国時代に上杉勢との戦場となった
水口楯の遺構を見ることができます。
※参考文献/『朝日町史』朝日町教育委員会
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2009.04.06:朝日町エコミュージアム協会