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勝生観音堂跡
勝生観音堂跡:2009.04.09

 五百川三十三観音第11番札所。
 立木より車で10分程の所にあった大江町勝生集落は、400年程前に朝日権現参道の村として誕生したと推定されています。江戸〜明治時代には「七軒青苧」の本場として名声高く庄内の漁民と直接取り引きされたと伝わります。
 明治4年(1871)4月10日、青苧畑の火入れ(焼畑)から昼火事となり12戸が全焼。曹洞宗玖林寺と観音堂も全焼します。しかし観音像は無事でした。昭和46年頃には盗難にあいましたが3〜4年後に山形市より発見され犯人も逮捕されました。昭和35年頃から過疎の波は勝生にも押し寄せ昭和46年に廃村となりました。昭和50年に別当鈴木与三郎氏がお堂を解体し、石仏地蔵尊とともに、自宅近くの経ヶ崎(朝日町宮宿西町)の一角に遷座再建しました。
※『ふるさと朝日町散歩』より抜粋
※写真は勝生の観音堂跡です。
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2009.04.09:朝日町エコミュージアム協会

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