あさひまちエコミュージアム|山形県朝日町見学情報データベース

彦七は風和かもしれない

2009/05/18 05:35/彦七は風和かもしれない
 私は明治三十七年生まれで、ずっと大谷で百姓をしてきたが、養蚕なんかもしていたこともある。 区長が終わってから、いろいろな歴史に興味を持って調べるようになったのだ。

〈『大谷往来』と原本について〉
『大谷往来』について初めて聞いたのは、堀敬太郎さんからだと思う。その昔は、長岡久蔵さんの空読みなんかも聞いたような気もする。
 興味を持って原本なんかも見せてもらったが、和田さんのと久蔵さんのは同じだったが南蔵院さんのは少し違っていたので、和田さんのが原本だと思った。
 南蔵院さんのは十丈の松だったが、十丈の松だったらどこにでもある。だから、二十丈の松の方が正しいと思ったな。

〈「彦七」について〉
 左沢の白田佐院長は、白田内記家の出身で、白田家のことを詳しく調べて本を出したのだ。この本なんかを見せてもらい、いろいろと考えて、堀さんなんかとも話して、彦七は風和じゃないかと書いたんだ。
 あの時代に、これだけの文章を書くのは、白田風和(秀勝)以外にはいないと思う。

〈私の記録帳に残っている〉
 俳句なんか好きで、気がついたら帳面なんかに書いている。歴史のことも好きで昭和六十二年から書いている。この中に何回か『大谷往来』について書いたが、平成二年には「作者彦七を探る」というのを五ページにわたって書いている。

お話 大谷国勝さん
平成9年12月 元禄のエコミュージアム・大谷往来シンポジウムにて


2009/05/18 05:35 (C) 朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
(C) 特定非営利活動法人 朝日町エコミュージアム協会 All Rights Reserved.
※当サイトの全ての情報は、精通する朝日町民、朝日町教育委員会、学術者のみな様の情報をもとに、朝日町エコミュージアムルームの業務を受託するNPO法人朝日町エコミュージアム協会がまとめたものです。朝日町の観光や郷土学にお役立て下さい。
所在地 / 〒990-1442 山形県西村山郡朝日町宮宿2265 朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」エコミュージアムルーム内 TEL0237-67-2128(月・木休み)
※大黒様写真/撮影 萩原尚季さん(コロン)
※デザイン/サポート by ステップアップコミュニケーションズ


合計8,260,522件 (2010.02.24〜) 記事881頁 今日336件 昨日1391件 [login] Powered by samidare