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大谷風神祭の代々神楽と天狗について

2014/08/17 06:58/大谷風神祭の代々神楽と天狗について
代々神楽(獅子神楽)と天狗について

志藤 富男さんのお話

■お神楽の始まり 

 お神楽は、昭和3年頃、東(第6区)の青年会で初めてやった。宮宿の豊龍祭りのお神楽を教えてもらったんだそうだ。獅子頭は浦小路の原信敏さんの家からの借り物で、原さんの神棚さ飾っておくものだった。
 練習は、今みたいに1週間も10日もすねがったな。31日の午前に枠を組んで、一発勝負だった。太鼓と笛だけは一週間前から田んぼの真ん中の稲干場で練習していた。
 お神楽(獅子頭)は、目としわ三本と歯を金紙で貼りかえて墨で塗った。目は少し恐ろしそうに書いた。今みたいにしっかり塗られていながったからそうしたんだべな。桐だったから軽かった。踊りお神楽は、飾りお神楽と作りが違うんだ。鼻が長くてたがくのに、ちょうど良くできていた。耳も動いた。
 昔は、幕が蚊帳みたいな麻で出来きていたから少し見えたんだ。今の幕は真っ黒でいくら明かりがあっても見えなくて、胴に入っている人は、どこ歩いているのか分からねなよ。
 出る時には、お神酒を少しだけ飲むだけ。今みたいに酒飲みお神楽ではなかったな。
 20人は必要だった。天狗1人、提灯2人、頭2人、首や胴に6人、太鼓は1人で背負った。笛は最低6人。3人ずつ交代して吹いた。鐘1人。尻幕かつぎ1人、後ろにも小さい提灯2人いた。お神楽を踊れるのは25歳位までの若い人だ。歳とってからでは、怪我してしまう。
 お囃子は、東の時は今でも生笛だけど、他の区の時はテープに録音したものを使っている。東の笛を吹く人達が録音したんだ。太鼓を入れると笛が聞こえなくなるから、笛だけで録音した。一ヵ所ちょっと止まる感じの少し違うなと思う所があるのは、テープを繋いだ所だ。太鼓も鐘もそれさ合わせて叩いている。
 太鼓は真ん中を叩かないといい音出ない。歩きながら叩くからうまくいかないことがあるようだ。

■お神楽の役割
 
 昔は、照明なんてなかったから、前を歩いている天狗の両脇の大きな田楽提灯の灯りだけが頼りで、天狗と離れられなかった。「天狗ば、ぶっ飛ばしてやるなよ」とよく言った。今は、天狗ばっかり早く歩いて来て、お神楽が来なくなっていることがあるな。
 案内役の天狗と、神輿の前を悪魔払いする役割のお神楽は一緒に歩くのが本当だ。天狗の提灯には、一つには「代々神楽」、そしてもう一つに「悪魔払い」と書いてある。
 東では、昔のように白い足袋にわらじを履かせるから、冬の間に作らせておく。寒のうちに作るのがいいって言うな。昭和10年頃までに生まれた人でないと作れないべな。
 枠の幕は、細長い一反の布を横に10枚合わせて作った。大谷十次郎郵便局長が寄付してくれた。これまで3回位換えたな。今は舗装道路だからいいけど、砂利道だと水たまりで幕が汚れて干したりした。雨が降ると幕に水が染み込んで重たくなって大変だった。特に頭と首の間は重たかったね。

■大切な尻幕

 お神楽の頭と首までが2間、胴が2間、尻は2間以上あって尾っぽになっていた。今のは少し短いみたいだな。尾っぽの尻幕はブレーキ役で、身体に巻き付けて、その人がぎゅっとすると止まるんだっけ。そうすると胴体がそっちゃ行ったり、ほっちゃ行ったりしないんだ。
 2回目に作った幕は、尾っぽがなかったから止まらなかった。「そーれ」と言ってどこまでも走って行く。だだだーっと、まっすぐ突っ込んで、ずるずるずるとバックしたりしていたけれど、お神楽にバックはないな。尻幕する人がしっかりしているとそんな事はなかったんだ。邪魔だと思って尾っぽを切ったけのかもしれないな。
 俺もしていたけど、道路を右往左往に踊りながら進むんだっけ。今の踊りはまっすぐ行くから、幕につっかえてぶち転んだりしてしまう。横に上げて身体ごと行くと幕につっかえたりしないし、人にお神楽をぶつけたりもしない。

■暴れお神楽

 昔は、暴れお神楽ではなかったな。今と違って道は暗いし、狭いし、今みたいに暴れたくても暴れられなかったね。
 俺は昭和18年からかぶった。今だったら高校1、2年。昭和20年は終戦だったからおそらく出なかったと思う。昭和19年は、出る時に空襲警報が鳴ったから、提灯もつけないで村社に行って来て終わった。かが(妻)もらうまではしていたから、12〜3年はしていたな。
 ほかに出られなかったことがあったのは、当番制にした年に大雨になった時と、村中集団赤痢になった昭和30年。風祭りをしなかった。
 当番というのは、東だけで大変だということで、各地区でまわすようになったんだ。初めの年(昭和46年)は立小路と田中が担当した。ところが大雨降ってお神楽出せなくて、悔しくて次の日に、神社まで行って来たって言っていたな。
 次の年は、高木だったが、誰かが暴れ獅子を教えたんだ。練習の時に弥次右衛門の塀さぶつけてお神楽割ったりしていた。高木は3年続けてしたな。
 次に峯壇が担当だったけど、やっぱり走ってばかりいるっていうので区長から頼まれて教えに行ったことあった。でも、本番になるとやっぱり暴れたな。踊る人が4人も5人もいるから、1人あたり少ししかできなくて面白がって暴れてしまうなだ。前は2人だけで交代して踊っていた。消防本部さ突っ込んだりするようになったのもそれからだべな。
 お神楽は静かに恐ろしくみせる人が上手。たがき方は、あごを見せずに下向き加減にするとおっかなく見える。右に行っても左に行っても、常に道路の真ん中を見るようにする。あさって(見当違い)の方を向いては魅力ない。

■天狗

 天狗も大変だった。先頭を両脇の提灯の灯りで、面の鼻の穴から足下を覗いて歩かんなねがった。おらだの時は2本下駄だったが、前は1本だったな。天狗が早く歩けば行列も早く終わるものだった。
 天狗の装束は白かったから目立ずっけな。天狗のひげと髪は青苧で作るっけ。金紙で目と口を貼りかえた。
 天狗の手ひかえは子供1人。人のいない所は高下駄をせったに履き替えたので、それを持ってもらったりした。高下駄で足くじいたなんてあったからね。
 昔は甲種合格すれば兵隊に行がんなねがったから、その人を天狗にさせた。天狗すると、死なないで帰って来れるとよく言ったものだった。
(取材/平成24年7月)

志藤 富男(しとう とみお)氏
昭和3年(1928)大谷生まれ。昭和18年〜30年頃までお神楽の頭役を務める。東在住

大谷の風神祭
小径第15集『大谷風神祭』
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