あさひまちエコミュージアム|山形県朝日町見学情報データベース
大谷の花火打ち上げ2014/08/09 16:32 (C) 朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
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※当サイトの全ての情報は、精通する朝日町民、朝日町教育委員会、学術者のみな様の情報をもとに、朝日町エコミュージアムルームの業務を受託するNPO法人朝日町エコミュージアム協会がまとめたものです。朝日町の観光や郷土学にお役立て下さい。
所在地 / 〒990-1442 山形県西村山郡朝日町宮宿2265 朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」エコミュージアムルーム内 TEL0237-67-2128(月・木休み)
※大黒様写真/撮影 萩原尚季さん(コロン)
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白田寿春さんのお話
〔祖父と父のこと〕
うちは玉屋とか花火屋とか呼ばれている。じいさんの藤三郎が花火を作って打ち上げていたんだ。そして、親父の八郎がその後を継いだ。だけど、花火製造は、規制がだんだん厳しくなったのと、危険を伴う仕事だったのでしなかったんだ。
じいさんの花火を作る木型とかあったけね。火薬を入れる丸い紙のお椀を作るもので、木の球になっている。そこに何枚も何枚も紙を重ね貼りして、最後に包丁を入れて二つに割るんだな。刃物の跡がついていたっけね。三寸玉とか五寸玉とかのお椀を、昔は、そうして全部手作業で作っていたんだな。
子供の頃、白山神社のお祭りや学校の運動会の日に、昼間の花火を上げるんだけど、ちょうど学校の裏のほうの田圃で親父が打ち上げるから自慢だったね。その頃はパラシュート入れてあったから、それを拾いたくてみんなで田圃の中をこいで行ったりもした。じいさんもそういうのを作っていたようだ。殻玉も魔除けになるからみんな拾うもんだったね。
親父にはよく追っかけていって打ち上げする所を見ていた。大船木の橋が完成した時や上郷のダム祭りの花火打ち上げにも行った。親父が打ち上げる姿はかっこ良かったね。
〔松田花火屋(中山町長崎)とのつながり〕
その頃は、長崎の松田花火屋が作った花火を買って打ち上げていた。松田さんの話では、花火の作り方を、私の曾じいさん(藤三郎の父)から、松田さんの曾じいさんが教わったのが親しくしている始まりだと聞いている。
親父に「お前もしてみろ」みたいなことをよく言われていたから、自然とするようになったんだ。手伝い経験3年以上で講習を受けると「煙火打ち上げ従事者」という資格をもらえるので23歳の時にとった。松田花火屋所属を表す自分の番号がもらえる。
俺がするようになってから、山形や左沢の花火大会にも松田花火屋の手伝いとして行ったことがある。宮城県で花火を製造している仲間も呼んでやるんだっけ。今は、県外から入って来るようになって呼ばれなくなったね。
〔風神祭の花火打ち上げ〕
風神祭(8月31日)の花火打ち上げは、あの頃は連合区とは関係なかったから、親父も一人でバイクに乗って寄付集めしているんだっけ。寒河江や山形までも行くっけね。
昭和46年頃に、うちでだけするのは大変だということで、連合区さお願いするようになったんだ。ちょうど東区でやっていたお神楽(大獅子)も各区で回すようになった時だった。
俺は静岡で働いていたので、毎年風神祭の時には帰って来て打ち上げを手伝うんだっけ。親父は俺が33歳の時、62歳で亡くなった。その年は、お袋にもだんどってもらって、松田花火と一緒にあげたんだ。
打ち上げするのに最低5人いるから、今でも風祭りの時に松田花火に来てもらっている。筒を立てるための杭立ての準備は、朝からしないと間に合わなくなる。3号と4号を10本ずつ、あとは5本ずつ立てる。
打ち上げは、線香花火みたいに散る小さな火種があって、それに火を点けて筒の中に上から入れる。すると筒底に敷いておいた黒煙火薬が爆発して玉は上がっていく。その時に、同時にへそ(導火線)にも火がついて、上まで行って中の色付きの火薬に引火して玉が開くんだ。ちょうどいい高さで開くように火薬の量を調整する。
万一、筒に火薬入れるのを忘れると、上がらないで筒割れして吹っ飛んでくるから危ないなだ。「騒がずゆっくりでいいから火薬はきちんと入れるべ」と呼びかけながら作業している。
火種を筒に入れると、一瞬のうちに花火は飛び出すけど、火花も筒から飛び出すから、その火花を被らないように風向きを考えて入れるようにする。背中に入ったりしたら大変だからね。火種を持つ指先なんかは、いつもピリピリ火傷している。好きでないとできない仕事だね。
打ち上げは、行列している人達も見て楽しめるように、見えやすい保育園の所を通過している時とか休憩している時とかに集中して上げるようにしている。
俺は、行列に混ざったのは小学生の時にちょうちんをたがったのが最後だったね。風祭りの行列は近くで見たことないな(笑)
〔やりがい〕
嬉しいのは玉が上がっていって無事開いた時だね。一発、一発嬉しくなる。そして、すべて無事に終わった時は、やっぱり安堵感はあるね。特に去年は途中から土砂降りだったから、濡らさないようにするのが大変だった。事故がなくてほっとした。あんなことは初めてだったけ。部落の年寄りからは「大変だったな」と声かけてもらえるね。
大谷の花火の歴史は古いし、大切な役割だと思っている。うちも代々花火屋しているから無くさないで続けていけたらと思っている。なにより、大谷の皆さんの協力でできているので、これからも喜ばれる花火を上げていきたいね。
取材/平成26年3月
■白田寿春(しらた・としはる)さん
昭和31年1月11日生まれ 昭和55年に煙火打上従事者資格取得。平成2年より父八郎氏に代わり大谷風神祭の花火打ち上げ従事者となる。
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→大谷の花火の歴史
→大谷の風神祭
→空から人形、人形傘花火
→小径第15集『大谷風神祭』